スクスタ20章の感想

 スクスタのメインストーリーが更新され、いよいよセカンドシーズンの始まりとなる20章が公開されました。わざわざセカンドシーズンと区切っていることから、大きく話が動くのではないかと思っていましたが、想像以上に踏み込んだ内容に進んだな、というのが素直な印象です。賛否両論、といっても否の意見が多く見受けられる今回の章ですが、ここでは好きか嫌いか良いか悪いかは抜きにして感想を述べていこうと思います。

 今回の章、というよりセカンドシーズンの内容は「スクールアイドル部とスクールアイドル同好会との対立」であることは間違いないと思います。部と同好会の間には「スクールアイドル」というものに対しての価値観に大きな隔たりがあり、それが原因で対立が起こっています。また、果林ちゃん愛ちゃん栞子ちゃんが同好会から部に移っているということも一つのポイントだと思います。この内、栞子ちゃんに関してはほぼ強制的に部へ移ることになったのだと考えられます。ランジュちゃんとしては栞子ちゃんが部に来ることは当然と考えているでしょうし、栞子ちゃんとしてもランジュちゃんがあまりにも行き過ぎた行動をしないように見張る必要を感じていたのではないでしょうか(実際、監視という役割はあまり意味をなさなかったようですが)。
 一方、果林ちゃんと愛ちゃんは自分の意思で部へと移っています。とはいえこの二人の言い分を聞くと、そのキャラらしい答えというか、部へ移るのは自然な流れのように感じます。「友だちを作りたくて同好会に入ったわけじゃない」という果林ちゃんの言葉は冷たく突き放すようにも感じますが、同好会に加入した当初から「自分を高めるためにスクールアイドルをしている」というスタンスは変わっていないので、果林ちゃんのキャラに沿っていると思いました。愛ちゃんに関しても同様で、先入観をもたずに誰とでも関わろうとする姿勢は愛ちゃんの長所であり、部のことを知りたいと思うのも当然の反応だと思います。
 しかし、他の同好会のメンバーは部の勧誘を断り続けています。特に、かすみちゃんとエマちゃんは強く拒絶しています。その理由は「スクールアイドル部(ランジュ)がやっていることはスクールアイドルとは違う気がするから」というものです。まさにこの理由こそが、セカンドシーズンにおいて最も重要なことだと私は思いました。

 「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」というグループは、メンバーごとの個性を大切にして、自分だけのスクールアイドルを作り上げてきました。その中には、かわいさを追求するメンバーもいれば、かっこよさを追求するメンバーもおり、ライブ中に眠ってしまったり素顔を見せずにパフォーマンスをするメンバーまでいます。良く言えば「型破り」、悪く言えば「なんでもあり」なのがこの作品の特徴であり魅力であるのは間違いありません。
 では、「スクールアイドル部がやっていることはスクールアイドルとは違う気がする」のはなぜでしょうか。ここまで多様性を認めてきたメンバーが、部の活動は受け入れることができないのはなぜでしょうか。これには「スクールアイドルってなに?」というラブライブ!全体の根幹ともなる問いが深く関わっているのだと思います。

 ラブライブ!シリーズも十周年を迎え、今となっては「ラブライブ! = スクールアイドル」という図式を確立させています。私自身、μ'sの結成初期から追っているわけではないので、このようなことをえらそうに言えた柄ではないですが、ラブライブ!に出てくるアイドルたちは「アイドル」ではなく「スクールアイドル」と定義されます。
 しかし、ラブライブ!を全く知らない人からすれば「スクールアイドルって普通のアイドルとなにか違うの?」という疑問を抱くでしょう。高校生がアイドルをすればスクールアイドルになるのかと言われれば、それは違うと思います。これは私の個人的な意見になりますが、「学校に通う生徒が、その学校で、自分たちの力でアイドル活動をする」のがスクールアイドルだと考えています。だからこそ、μ'sとAqoursは廃校という問題に立ち向かい、A-RISEやSaint Snowを含めた他のスクールアイドルたちも自分たちで作詞作曲・衣装作成・パフォーマンスの考案を行うことに意味があるのです。もちろん、その活動の中には様々な人の助けやサポートがあったからこそ成し得たものも多くあるでしょう。しかし、あくまで活動の主はスクールアイドルたちで、周りの人々はそれを少しだけ後押しするだけに留まっています。このスクールアイドルの在り方が、アイドルを扱った他作品とラブライブ!との差異なのだと思います。

 話を戻しますが、同好会のメンバーが違和感を感じているのはきっとこの「スクールアイドルの在り方」についてなのだと思います。おそらくランジュは「アイドルをするのだから、質の高いサポートを受け、万全の環境で活動するのは当たり前」と考えていますが、確かにアイドルをするならそれらは非常に重要なことだと思います。しかし、それは「アイドル」であっても「スクールアイドル」ではないのかもしれません。
 作中でかすみちゃんが言っていた「かすみんのライブは、かすみんにしかできない」という言葉には、ただパフォーマンスをするのは自分だからというだけではなく、様々な準備や練習を経て自分の想いを詰め込んだ、自分だけが作ることのできるたったひとつのライブという意味が込められていたように感じます。たとえ技術が劣っていたとしても、気持ちは絶対に負けない、気持ちだけはプロの作ったそれよりも上回るものを作り上げてみせる。そのような信念が、同好会のメンバーを含めスクールアイドルたちにはあるのではないでしょうか。だからこそ、自分と関わりの薄いプロの力を借りて活動するスクールアイドル部よりも、辛いときも楽しいときも共に過ごしてきた仲間たちと活動するスクールアイドル同好会の方が自分らしく輝ける場所だと言えるのでしょう。

 私は、スクスタのセカンドシーズンは「スクールアイドルとはなにか?」という根本的な部分を再認識する場なのだと考えています。多様なスクールアイドルが登場しているオールスター作品のスクスタだからこそ、「スクールアイドルとはなにか?」という問いに向き合う必要があり、また意義があるのではないでしょうか。