アニメ虹ヶ咲に見る、個性の表現方法

 先日、最終回を迎えたアニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の全編を通して感じたことを書いていこうと思います。ほぼ主観での感想文となりますが、ご容赦ください。この作品には主に十人の少女が登場し、それぞれが主人公といえるような活躍をしています。ここではあえて、その少女たちの一人である高咲侑ちゃんに焦点を当てて作品を見ていきます。

 侑ちゃんを主軸に考えた時、この作品は「無個性な少女が個性を見つける物語」と言えるでしょう。侑ちゃんが出会い、関わってきたスクールアイドルの面々は、いずれも個性的な人物ばかりでした。その中には、例えば衝突を恐れて個性に蓋をしたり、他者との違いを恐れて個性を出せずにいたり、そもそも個性を見つけられていないメンバーもいました。しかし、そんなメンバーも、侑ちゃんを含めた様々な人々との関わりを経て、個性を見つけ、それを十全に発揮するパフォーマンスができるようになります。

 このように、個性とは自分一人で見つけ、表現できるものではなく、人との関わりを経て形成されていくものなのだと思います。自分の性質というものは、良くも悪くも他の人間と比較しなければわからないものですから。自分にはない個性をもったメンバーと、時には学び、時には教え、時には競うことで、互いを高めていくということは、まさに「仲間でライバル」ということなのでしょう。

 そんなメンバーと関わる中で、侑ちゃんに「音楽をやりたい」という想いが芽生えます。この想いは作中では「夢」と描かれていましたが、私はこれを「個性の表現方法」だと考えます。

 同好会に所属している様々な個性をもった少女たちは、その個性をスクールアイドル活動という形で表現しています。ここで興味深いのは、異なる個性をもっている少女たちが、同じ表現方法をとっているという点です。彼女たちは数多ある選択肢の中からスクールアイドルという選択肢をとり、そこでそれぞれの個性を発揮しています。

 では侑ちゃんの個性とは何なのでしょうか。私は「スクールアイドル愛」だと考えます。スクールアイドルフェスティバルというイベントを企画し、実行に移せるところからも、「ただ単にファンなだけ」では収められない、侑ちゃん固有の熱量があるように感じられました。もっと広義に捉えると「夢を追う人を助ける力」と言えるかもしれません。

 その個性を表現する方法が「音楽」なのだと思います。スクールアイドルを応援するなら、先述したようなイベントの企画や、衣装の製作を行ってもいいように思いますが、彼女は「音楽」という道を選びました。一話でせつ菜ちゃんの歌声を耳にしたことでスクールアイドルの世界へ踏み込むことになった侑ちゃんにとって「曲」は、彼女の「スクールアイドル愛」の中でも中枢的な位置にあるように思います。それだけでなく、様々なメンバーの想いに触れてきた彼女だからこそ、スクールアイドルが自分の想いを込められる曲を作りたいと考えたのかもしれません。このように、侑ちゃんも他の同好会のメンバーと同じく、個性を発揮できる複数の選択肢からひとつの選択を行なっています。

 最終話で、侑ちゃんは音楽科への転科に不安を感じているようなセリフを発しています。音楽科というからには幼い頃から音楽に触れていたり、音楽が好きな人が集まっている場所なのでしょう。その中に、ついこの間まで素人だった自分が入れるのか、入ったとしても続けていけるのか、そのように考えていたかもしれません。しかし、そんな自分に向けて、これまで侑ちゃんがそうしてきたように、同好会のメンバーたちが応援してくれている。スクールアイドルフェスティバルを成功させるという自信以上に、仲間がいるという安心は、夢への一歩を歩み出した侑ちゃんにとって大きな支えになっていることは間違い無いでしょう。

 現実世界においても、個性を表現するには様々な方法があります。似たような個性をもっている人でも自分とは異なる表現をしていたり、全く違う個性の人が自分と同じ表現をしていることもあるかもしれません。中には、個性を表現するために全く新しい世界へ飛び込む人もいると思います。そんな時に不安を感じるのは当然のことですが、決して自分一人で挑戦するわけではなく、その後ろにはたくさんの人々がついていてくれる。そういった意味では、この作品自体が「夢を追いかけている」作品であり、作中で侑ちゃんが行ったような「夢を追いかけている人を応援する」作品なのではないでしょうか。