UO禁止について思うこと

 某コンテンツの某ライブにおいて「UO禁止」がルールとして明文化されました。これまでも婉曲にUOの使用を制限するような文言はありましたが、公式からはっきりと「禁止」という言葉が使われたのには驚きました。そんなルールの明文化について少し思うところがあったので、これから述べていきたいと思います。

 前提としてですが、私個人としては今回のルールについて賛成でも反対でもありません、「どっちでもいい」というのが正確かもしれません。別にUOを使わなくともライブを楽しむことはできますし、私自身もこのコンテンツでUOを折りたいとはあまり思わないので禁止されることで困ることはありません。それはそれとして、会場全体を見渡せる位置から所々で光るUOを見ているとテンションが上がるので、そういった楽しみ方ができなくなるのが少し寂しい気持ちもあります。

 では、なぜ今回こんなブログを書いているのかというと、今回の一件から派生して「明文化されていないルールに対する自治」が始まると嫌だなと思ったからです。

 今回の「UO禁止」のように、公式から声明が出ている禁止事項について参加者が自治を行うことについては構わないと思います。会場スタッフの数も限られていますし、参加者同士で解決できる問題であるならそれに越したことはないでしょう。
 しかし、公式が明言していない「迷惑行為」については個人の裁量によってしまう部分が大きいです。というのも、同じ場所で同じものを見ていたとしても何千・何万もの人間がいれば、全く同じ目的でその場所にいる人々というのはそれほど多くはないのではないでしょうか。キャストのパフォーマンスを観に来る人もいます、ライブ会場で聴く音楽を楽しみにしている人もいます、会場の一体感を楽しみたい人もいます。多様な楽しみ方ができるという点では確かに良いところではあると思うのですが、それと同時に「迷惑行為」に対する個々の基準というのはバラバラなのではないかとも思います。

 そんな状況で「迷惑行為=自分(自分たち)が気に入らないこと」という基準で自治がされてしまうとどうでしょうか。極端な話、隣にいる人の楽しみ方が自分の気に障ったなら注意してもいいのか、ということです。
 特に今回のUO禁止に関してはネットを見る限り、UOに対して肯定的な感情を抱いていない人が多く見受けられたので、今回の公式の発表を受けて「自分が嫌だと感じていることは他の人も嫌だと感じているはず、だから注意しよう!」という謎の正義感を発揮されてしまうと締め付けが強くなる一方で、最終的には一部の人たちしか楽しくない場が生まれてしまうと思っています。それはUOに対して嫌悪感を抱いている人の言うところの「UOをグルグルしている人」と同じ、自分が楽しいだけになってしまっているのではないでしょうか。

 冒頭でも述べましたが、私自身は今回のルールについてはどっちでもいいと思っています。肯定派と否定派のどちらが正しいのかという話でもありません。
 正直、ライブ会場にいる全員が完璧に楽しむことというのは不可能で、誰もが何かを我慢しながらライブを楽しんでいると私は思っています。それぞれが思い描くライブの理想像は違えど「今日のライブに参加できてよかった」と終演後に思えたのならそれで十分ではないでしょうか。

 自分の価値観を人に押し付けるのは、しんどいだけではないでしょうか。