アニメ虹ヶ咲2期の感想文 ひとりでもできること

 『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のアニメ第2話を視聴しました。ランジュちゃんとの関わり方が伝わってくる話であり、ソロ活動を重視している今作品の根幹にも触れる内容であったと思います。

 ゲリラライブを通してソロ活動をしているランジュちゃんの様子を見たかすみちゃん・璃奈ちゃん・彼方ちゃん・エマちゃんの4人がランジュちゃんの部屋でお互いの在り方を話している場面。「自分を証明する」というスクールアイドルをやる理念はランジュちゃんも同好会のメンバーも同じなのですが、ファンとの関わり方だけは意見を違えています。というより、ランジュちゃんは意図的にファンとの距離を取ろうとしているように感じました。
 スクスタからのメタ視点を通してしまいますが、アニメでのランジュちゃんは過去の経験から他人との関わり方において一線を引いているのでしょう。より正確に言うと、適切な一線の引き方がわからないけど傷つきたくないからとりあえず線を引いておく、といった感じでしょうか。ファンとの関わりで自分のパフォーマンスに悪影響が出るかもしれない、と言う割にはファンの声援にはしっかり応えていますし、自分を見に来てくれていることに対して素直に喜んでいます。わざわざスクールアイドル同好会がある虹ヶ咲を選んで留学してきたことからも、心の奥底では一緒に活動したいと言う想いが見えてきます。

 そんなランジュちゃんに対して4人は、ソロではなくユニットで向き合うことにしました。 ブランコを漕いでいる場面では、ブランコの動きが揃うことはないけれど全員が同じ方向を向いていることが虹ヶ咲でのユニットの在り方を象徴しているように感じました。
 また、ブランコといえばこの4人によるユニット「QU4RTZ」の現実世界でのライブで用いられたものでもあり、QU4RTZを象徴するアイテムと言ってもいいのかもしれません。四つの声を重ね合わせることで一つの世界を作り上げていくQU4RTZだからこそ、固く自分の世界だけに囚われているランジュちゃんへ最初に向かっていく存在として最適なのだと感じました。

 今回ランジュちゃんがやったように、ソロアイドルとして活動するのであれば同好会として集団で活動する必要はありません。しかし、それでも同好会が同好会としてソロ活動を行うのには意味があります。それはソロであるからこそ人との繋がりを強く深く感じ、ステージの上に立つのはひとりでもステージを作り上げているのはひとりではないということなのだと思います。
 ひとりでもできるソロ活動をみんなで行う、それが虹ヶ咲という作品の大きな魅力であると私は思っています。それをソロアイドル同士が力を合わせたユニットという形で表現していくのを感じさせる第2話であり、残るふたつの同好会のユニット、そして出番があるかはわかりませんが残るもうひとつのユニットがどのように物語に関わってくるのかがますます楽しみになりました。